正論居士(せいろんこじ)という言葉がある。
居士とは気質を指し、意見に対し
反論するだけで対案を示さない人の事。
あくまでも他人事とし、主体的に取り組もうとしない、と。
自分の意見を絶対としている為、
対話は全く生産性を持たない。
重箱の隅をつつく事が自分の能力だと勘違いしている。
当然、納得させる事は難しくなり、
タイミングが遅れ、失敗しまったら
「やっぱり、私の思った通りだ」とさらに過信してしまう。
私が支援する際、必ずお断りするのがこのタイプである。
使う労力が半端ではないのだ。
もし○○の場合は?○○がもし起きたら?
もし○○であるとするなら?・・・・etc
仮説に「if」を付けたらどんな些細な事でも
取り上げられる。これは当人に危機感が
ないのではない。あるからこそ、なおタチが悪いのだ。
ただ当たり前の話だが、先の見えない
事業を始める際、根拠なんてものはない。
その状態で根拠を求めるのだから、
必然的に事業は水平線のままである。
何にでもそうだが、何かをやる際、
どうしても避けられないものがある。
それが予測と予想における差異、不確実性である。
当たるも八卦、当たらぬも八卦でやるのではない。
どんなに努力を尽くしても、精度を上げたとしても、
あらゆる将来の予測には不確実性が含まれている。
この不確実性というものを嫌うならば、何もしない事だ。
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