神子神楽では処女の巫女が、神懸りするのを巫女舞と言います。
つまり太古の踊りとは、降臨の儀式でもあったんですね。
巫女が交互に旋回運動をしだすと、やがてトランス状態となり
神が憑依し、神託を得る、と。
これは神招(かみお)と呼ばれ、古事記や日本書紀では
岩戸隠れにおいてアマノウズメが同じように神懸かりして舞った、とされます。
「舞」という言葉の語源は、この巫女舞の旋回から来ていて
踊りの原点だとも言われてますね。
意識を超えた行為を無我夢中といいますが
とても類似している気がします。
肉体が精神に近づき、精神が肉体となり表面化する。
純粋経験とはそんなものでしょう。
☞ ☞ ☞
最近、この状態が天職なのかもしれないと、
個人的に思ってます。アイデアや発想も
この時に降りてくるんじゃないかな。
つまり、その仕事自体が独立して存在しているのではなく、
人の生命活動が結果としてそういった名詞となっている、と思うのです。
一見、仕事と自分が分かれているようですが、
行為が「働いている」という、労働の形を取っているだけで、
それは本来、人間の生命活動の一側面であり、
一つの存在を別の角度から眺めた結果かもしれません。
我々は、何かいい「仕事」はないかな?とか
楽で稼げる「仕事」はないかな?と探したりします。
ただ、そんなものが独立して存在してるなら
その仕事をしている人全員が同じ状態になってないといけない。
弁護士や医者が全員金持ちかと言えば、
そうではない人も意外と多いと分かります。
つまり、同じ仕事なのに結果が違うと言う事は
仕事の結果とは「自己の表現次第」だという証明じゃないでしょうか。
「儲かる仕事」は存在せず、
あるのはが夢中になった結果、儲けたと。
☞
何度か経験したけれど、最近は経験がない。
また、その領域に達してみたい今日この頃ですな。
SECRET: 0
返信削除PASS:
はじめまして。たまたま訪問したのですが、アメブロで多くの人とコミュニケーションを取っていきたいと思ってコメントを書かせて頂きました!もし宜しければ、ブログ内で繋がって頂けたら幸いです。