2026/08/12

極めて広く、極めて狭い







世界の黒澤明監督は画家顔負けの
絵コンテを書き素晴らしい脚本を
書いてたことで有名だが、氏は
それらの才能をすべて「映画」だけに使っている。


他にもドストエフスキーなどの世界的な
文学を読み漁ったりゴッホなどの芸術作品
にも積極的に触れたりしてるが、それもまた
映画に集約させるため。小説や他の芸術で表現しようとはしなかった。


あちこち手を広げているように見えるが
あちこち手を出していない。ゲーテ然り、
偉大な技術とは隔離による自己限定だ。



広げ、高めたものをまるで太陽を当てた虫眼鏡のように極めて狭いものに集中させる。

これって最高の「技術論」ではないだろうか。





本質的なものばかり追い求めればその膨大かつ抽象的な「思考の沼」にハマってしまい、身動きが取れなくなってしまう。かと言って小さくまとまってしまうと表現は浅薄なものとなり面白くないものになってしまうだろう。


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具体的であって本質的なもの」には本であれ、器であれ、思想であれ、共通点がある。



それはある固有性が軸にありながらも、
多層的なレイヤーを内包している。
その薄皮を一枚一枚剥がして行けば巨大なものが顔を出す。



そういった作品って安易に批判できないし
逆に認めたりするのが難しいんですよね。




大人

「育児で言ってはいけない10の言葉」や「部下にやったらNGな〇〇」みたいな感じで行動や言動を自己制限している風潮に少し違和感。もちろん極端な言動は改めなくてはいけないが、安心して「何やってんの!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人とでは、与えられる量と吸収できる量が、全く違う。


多分に今は尊敬できる大人が少ないのだろう。子供をモノ扱いする親、責任を取らない上司、ナワバリ意識の強いお局様。そんな相手に従っていた時代の揺り戻しがきてるんじゃないかしらん。ハラスメントと言う言葉を借りてね。サラリーマンに戻って気づいたが、人間の底だな、と思った人は経営者と会社員ではタイプが異なる。前者は傍若無人が多く、後者は厚顔無恥が多い。あくまで所感。


雑記

我々の身体は食べ物で創られ、心は環境と思い込みで作られる。また、某頭痛薬は半分が優しさで作られていてツンデレは全て優しさで出来ているらしいが、確かなエビデンスはない。



今日の夕飯は納豆と魚、自分で作ったぬか漬けと味噌汁。50になって地味(滋味)飯の良さに気づく。





休みの前の晩酌はちょっと高めな焼酎をお気に入りのグラス入れてちびちび。これだけで一日頑張ったご褒美のように感じる。




最近、朝が涼しく感じます。世間はお盆ですね。





2026/08/07

雑記

震災が起きると、必ず地震を予知していたと言う予言者が現れる。予言とはいわゆる宿命(決定)論であるが、シュレディンガーの猫はどこへやら。未来予知はなぜ地震メインなのだろう。


やれ人工地震だ、次はここが危ないと不安を煽る識者(?)達はネットでは無数にいる。しかしその予言は「地震発生前」に「具体的な避難計画」としては一度も機能しない。当たり前の話である。本当に欲しいのは命を守る確かな情報と適切な対応、明るい見通し(希望)に尽きる。


今回の震災でもまた色々とやらかす人がいたようだが、多分に混沌とした状況下では、人の本性が出るのだろう。騒ぎを抑える人、逆に無駄に広げて不安を煽る人。感情が優先され、良かれと思ったことがかえって迷惑になってしまう人。有事の際はベクトルを揃える調整役が一番重要と改めて思う。



熊本地震で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈りいたします。