2026/08/12

極めて広く、極めて狭い







世界の黒澤明監督は画家顔負けの
絵コンテを書き素晴らしい脚本を
書いてたことで有名だが、氏は
それらの才能をすべて「映画」だけに使っている。


他にもドストエフスキーなどの世界的な
文学を読み漁ったりゴッホなどの芸術作品
にも積極的に触れたりしてるが、それもまた
映画に集約させるため。小説や他の芸術で表現しようとはしなかった。


あちこち手を広げているように見えるが
あちこち手を出していない。ゲーテ然り、
偉大な技術とは隔離による自己限定だ。



広げ、高めたものをまるで太陽を当てた虫眼鏡のように極めて狭いものに集中させる。

これって最高の「技術論」ではないだろうか。





本質的なものばかり追い求めればその膨大かつ抽象的な「思考の沼」にハマってしまい、身動きが取れなくなってしまう。かと言って小さくまとまってしまうと表現は浅薄なものとなり面白くないものになってしまうだろう。


***


具体的であって本質的なもの」には本であれ、器であれ、思想であれ、共通点がある。



それはある固有性が軸にありながらも、
多層的なレイヤーを内包している。
その薄皮を一枚一枚剥がして行けば巨大なものが顔を出す。



そういった作品って安易に批判できないし
逆に認めたりするのが難しいんですよね。




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