2015/03/12

練成講座「極(きわみ)」




こんにちわ、坂口です(。・ω・)ノ




前回お伝えしたように今日はリゾーム派生概念の一部を
書いてみたいと思います。



この概念は、前例的な「正解」を探すのではなく、
自らで正解を作り出ことができるためのもの、



よって最終的なゴールは「見えないけど存在する概念」を
いかに認識知として理解するかです。




我々は知っているものだけを見る。
これはゲーテの有名な言葉ですが、



逆を言えば、知らないもの(概念)とは、
存在しないのではなく、



「存在してても見えていないだけ」ということ。
もしかすると、新しい幸せの素材かもしれないわけです。



そんな、あなただけが見える「正解」で
世界を変えてみませんか^^?









もちろん、普遍的な受け皿を所有していなければ、
いくら技法が新しくとも、流れ、廃れてしまいますが、



普遍性だけでは意味が無い、
だからこそ「あなたの個別性」が必要なんです。




「世間一般的な日常」と
「あなたの一般的な日常」は違うでしょう、



つまり、そういうことです。




☞ ☞




さて、そんな個別性は、世間で「非常識」だと
呼ばれたりもするのですが、



それは単に「常識」によって
見えなくなっているだけの場合があります。



故にもし、一度でも見る事が出来れば、
再び前の状態に戻る事はありません。



例えば以下の図に一度でも
「犬」と「人の顔」を発見できれば、



その「犬」や「人の顔」から離れる事が
できなくなってしまうように。








見えました?




最初は「不規則性」しか見えなかったものに、
実は「規則性」が隠されていた、と。



真理もこのように、1つの意識には収まりきれない
性質を持っているのだと思っています。



この世界で言われる真理は、常に部分的なのです。
科学や数字も、目に見える部分だけを取り扱った学問です。



もちろん、そんな部分的真理が対話的に交流され、
そこから派生するプロセスの中で新しい概念が解明されていくのでしょうが、



それは「絶対的」ではない、と。
故に、対話と言う「プロセス」は求める者が存在する限り、
終わることも完結することもないのでしょうね。




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