2015/02/08

日本流フランチャイズ概念

リゾーム式フランチャイズという考え方は非構造、
言わば「非システム(科学)的」だと言う事だ、


なぜならばリゾームは散逸構造的な
非秩序の産物である、よってマネジメントを単一化できない。


受験のようにペーパーテストで「点数の高い人から・・・」的手法なら、
これほど楽で、簡単なものはない。



しかしこれだけ情報が瞬時に手に入る時代、
暗記や数値化という管理スタイルがいつまで続くだろうか。


企業理念を暗記しただけでは、その背景にある
「思い」は伝わらない、実際私もそうだった。


よって私はIQやEQよりも、
ブリコラージュ的な地頭を発揮できる集団が必要だと思っている。


「フットワークが常に軽い状態」。
こう書けば、誰もが正しいと思うはずだ。


しかしフットワークの軽さは管理できない。
それはあくまでも本人の内部動機に由るからだ。



よってこの手法はビジネスでなくアートと言われるかもしれない、
それは創造的かつ流動的な「状態」を指す。



つまり明らかである反面、実際にやるのは難しい、と。
だから安全パイである「階層型秩序」で固定したという気がしてならない。



イチイチ議論をすり合わせたり
全員の意見の統合をする時間なんてないって事だろう。



完全なる自主性はリスク容認と同義なので
とばっちりを喰らう可能性を見越しているのだろう。



もちろんそれは理解できる。
それに我々はキレイな形ができると、それを崩したくはない。



壊したくないから細部をちょこと変えたり、
一部をちょこっ・・・・と動かしたりするはずだ。



誰も責任は取りたくないし、失敗のリスクだってある。
だからお構いなしにガンガンやられたくないのだ。



ただイデオロギーなんてこれからの多様な世界では
通用しなくなるよ、という事から、



「一度土台から崩して作るのが難しいなら
フランチャイズというスタイルで作ってみませんか」
というのが僕からの提案である。



ただ、それを十分な根拠や裏付けがない状態で
声高に叫んだとしても、最終的には説得力がない。



また、加減が分からなければかえって混乱する。
それで一番困るのは当然、加盟店である。



よって、自己表現的な思想作品ではなく、
客観性を持たせるためにこうやって記事にしている。




対話で説明しても、相手は自分の知識内で理解しようとするから
まずは情報の共有から、と思ったのだ。
導入するか否かは、そこから判断すればいい。



積もる文字に神は宿るのだろうか(笑)
そんな事考えつつ、今回のテーマ。



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さて、リゾームを派生させる際、ある約束事を破る必要がある。
それは「現場」と「システム」とを切り離すという事だ。
��人とシステムと言っても良い)



なぜ「切り離す」と書いたのか、
その理由は、現場とシステムの明確な差異を知ることが必要だからだ。



ここまでが重なっていて、ここからは完全に別ものである。
という、「現場とシステムの誤差」を完全に理解することだ。



その誤差は数値ではない。
しかし後に大きな数値として現れる性質を持つ。



マニュアルが超えられない壁は、まさに「ここ」であり、
システムが超えられない壁もまさに「ここ」にある。




端的な例でいえば「英検1級取れば外人と会話できるのか?」である。



ならば我々人間はどちらを見ればいいのか。
システム(形式)なのか、人なのか。それとも両方か。


それらを同時に知覚しようとすれば、二つの世界の間で迷うばかり、
だからこそ、現場とシステムを完全に切り分ける必要があるのだ。


☞ ☞ ☞


そもそもシステム(科学)は「万全」ではない。
これをまず頭に叩き込まなくてはいけない。


システムは、現象が「なぜそのようになっているか」には答えられず、
「そのようになっているだろう」ということを推測・証明しているにすぎない。


重要なのは関与者が積極的に参加し、
現実とシステムを区別しながら議論し、学習し、実行することである。



自己言及的な閉鎖システムがと比べ、我々は
他の生命システムと相互作用することで相互理解が可能となる。



相互作用を持続させれば一段上へ創発(突然変異)し、
新たな価値システムは生まれるだろう。



それには、我々の異なる意味解釈を対話によって調整しながら
把握し、実行可能な概念モデルを作成する必要がある。


上記の「異なる意味解釈を対話によって調整すること」
これこそが「ゆらぎ(多義性)」の調整であり、
形骸化したシステムから新しい秩序を構築するのだ。



よってフランチャイズする際、マニュアルを作るならば
全員が参加して永続的に更新されていくスタイルが一番良い。


サイボウズでもアイポでもなんでもいい、
無料のグループウェアなんて、ゴロゴロある。


つまり集合知をクラウド上に掲示させ、常に各加盟店の実績や
体験を上書きさせるような「編集可能」状態にしておくことだ。


繰り返される編集は競合と協業によって
均一的なずれ(ゆらぎ)を引き起こす可能性を持つ。



私は「相転移からの創発」の初期条件を「場の創造」と仮定している。
これは既存の階層型ではまず不可能だ。



本部の最重要機密であるノウハウを
クラウド上に掲示させ、さらに都度変更させるなんてとんでもない、と思うだろう。

しかし硬直化や形骸化は「固定」したと同時に始まる。
これは全てを変化流動させるという意味ではなく「コア」を活性化させるという事だ。


そのコアこそが「感性を伴うポジティブ・フィードバック」であると
個人的に思っている。



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「強いチームが勝つのではない、うまくやった所が勝つ」と
どこぞのだれかが言っていた気がするが、とても本質的だと感じる。



システムは人間とリンクする、しかしあくまでも主体は我々だ、
虚飾や表面だけ見栄えのいいシステムではやる人間は取り残される気がする。



ガチガチのシステム=立派な本部というのは
��私にとって)幻想だ。


その管理下ではシステマティックなサービスは提供できても
ディズニーランドのような感動は「絶対に」起きる事はない。



根性や努力のような精神論は、好きだからこそ正当化できるし、
また、好きなことと言うのは、当たり前だが自分が主役でなくてはいけない。



そこを無視するとえらい目に合う。
我々はシステムに服従する側ではない、本来システムは利用するのだ。



てなわけで本質回帰、次回は論理的な面にチャレンジしてみよう・・・かな(^_^;)


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