2015/01/12

栄枯盛衰の発見2

露と落ち露と消えにし我が身かな

浪花の事は夢のまた夢









これは、豊臣秀吉が死ぬ間際に詠んだ句と言われる。





一代で最高権力を手にした者にしては、

ずいぶんと悲しい辞世の句である。







栄華を極めた結果、何が見えたのだろうか。

成長を繰り返した結果、どうなったのであろうか。





秀吉ほど「急速に」自己を変質させた人物は

今後出てくることはないだろう。







農民である「木下藤吉郎」が、織田に仕え、

それが「秀吉」となることで自己の質はどんどん変わっていく。







毛利攻めに向かう時は「羽柴」となり、

最終的に天下を取った時には、

朝廷より「豊臣」の姓を授かった。







遂には関白太政大臣、「太閣」となる。







この最終的に変質した自己を、

秀吉は「朝霧のように儚い」と言うのだ。







前置きが長くなりましたが、

第二回目の始まりです。





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さて、組織の規模によって、

トップと現場との距離はどんどん遠くなってしまう。







また、構成しているのは人であるはずなのに、

やがて人ではなく、「機関」として構築される。







機関とは、言わば制度を作るシステムである。

こうなってしまうと、相互の人間的な距離感はない。







これは規模の拡大による

トレードオフの原理である。







一つの組織原理(一人の経営者)が

構成し、行動できる限界は、一説によれば

数十人~多くても200名が上限だと言われる。







我々が短期的に記憶できる数字は、

7ケタ程度だと言われるが、それと同じである。







つまり、全員の顔や気心が分かるのは上記が

限界であり、それ以上増えれば目が届かないのだ。





故に「管理機関」を作る、

つまり組織を把握する為だけの機関である。







そして、これが千人を超えれば、

管理機関を管理する組織が必要となり、

ここあたりから「規制や標準化」が生まれるのだ。







20店舗程度のアーリーステージである

FC本部が、規制と標準化を作りたがるが、

これは大間違い。







小さな段階では、そんなシステムは不要なのだ。





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組織は「構造」と「志向性」、

この2つによって作り出されている。

体質と気質と言ってもよい。







その構造にロバスト性を持たるのが

リゾーム派生式であるが、多くの組織は

一つの構造だけしかない。







そこにこそ、最大の弱点がある。









例えば、拡大志向を持った企業の内部構造は

成長が続いている間は非常に大きな力を生み出す。





それを生み出すのが「外部報酬」であって、

今も昔もそれは変わらず、収入と肩書き(地位)である。





戦国時代においては、合戦で手柄を立てれば、

領土を増やしてもらえる、という動機で家来を鼓舞させた。







昔の経済成長時代でも、仕事を頑張れば

その分、役職が上がり、収入が増えた。







これが強さ(成長)の源泉である。

言ってみれば、その源泉は「経営資源」に帰結する。







源泉は枯れることも、変わる事もない、

という前提ありきである。





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豊臣秀吉はこのやり方で

ベクトルを強め、どんどん拡大していったのだが、

然、その勢いは永遠ではない。







九州を征服し、小田原の陣が完了し、

各地の様々な動乱を治め、遂に秀吉は全国を征服したのだが、









その時点でゲーム理論で言う

ゼロサムになったのだ。





ゼロサムとは損失と利得の総和がゼロ、

オセロで全てを埋め尽くした状態である。





つまり、各武士たちからすれば

全国にはもう領地を広げる余地がない、







人生は映画やゲームではないので、

これでハッピーエンドでは終われない。







武士たちは領土拡大の為に

雇い入れた家来が大勢いるし、







さらにその家来たちは将来の拡大を前提に、

人生設計を立てているのだ。







これはまさに現代と同じ状態である。

組織内には「永続的な成長原理」が

志向性となって、歯止めが利かなかったのだ。













長くなったので続きます。


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